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京町家 ひよりについて

ごあいさつ

ごあいさつ

「ひより」とは、「晴れた良い天気」あるいは「何かをするのに都合のよい天気」を意味し、
「○○日和」のように、物事を行う際に良い日として使われることから
今日のひとときをこの京町家で、心地よく過ごしていただきたいという想いが込められています。

近年京都では、多くの町家が老築化・継承者不足を理由に取り壊されています。
外国人向け宿泊施設や飲食店などに、現代と融合する形でリノベーションされることはありますが、江戸時代から続く「京町家」を本来の姿として残す場所は少なくなりました。

「京町家 ひより」は、江戸時代より続く京町家の風情をそのまま体験していただけます。
「おくどさん」では薪を使って羽釜でご飯を炊くことを体験していただき、
「走り庭」や「箱階段」、江戸時代から残る品々に囲まれながら
お食事や着物着付、サークル活動や文化教室などをお楽しみいただけるスペースをご提供いたします。

地域のご年配方が、安心して集える場。
小さなお子様を持つお母さま方が、気兼ねなくランチやお茶を楽しめる場。
知識や教養を広め、体験し、継承していくことができる場。
観光で京都にいらっしゃる国内外の方々へ、本物の京都の歴史を感じていただく場。

多くの皆様にとっての、憩いと学びの場でありたいと思います。

「ひより」の歴史と京町家

「京町家 ひより」の建物では、江戸時代(天保または天明年間)より現在の地で呉服屋を営んでおり、当代で6代目、屋号は「桝長」。
大正期には「嶋田呉服店」として栄え、昭和初期には玩具店として営業していたこともあったようです。

《 江戸後期~明治期頃のひより外観 》

京町家の原型は江戸時代中期に形成されましたが、その後伝統を保ちながらも様式は時代と共に変化しつづけています。
ひよりの京町家も、大正時代末期の大規模な増改築により座敷周りが拡張・改修されてはいますが、
「通り土間」に沿う一列型町家の室内を残し、火袋の空間と共に「おくどさん」や「井戸」など通り土間の伝統的な構成をとどめ、
大黒柱や天井板などは建築当時の部材がそのまま残っています。

戦後の改変は大きく、一見ビルのような「看板建築」が流行したため、ひよりも外見からは町家であることが全く想像できません。

《 京町家 ひより 箱階段と通り土間 》

「京町家 ひより」のある京都三条会商店街の歴史は古く、元禄(1688~1703年)頃より「三条台村」と称し、
現在の三条通りを中心に、北は二条から南は四条まで、東は堀川から西は西大路までの範囲で村を形成していました。

現在は、堀川~千本までの京都最長の商店街として、180程の店舗が軒を連ねています。